給湯器交換などにように簡単に交換できるものではなく。

代替品が、なかなか利かないのが歴史など長年培ってきたもの。
「教義がなんだかわかりづらいから」と、給湯器交換などのように
メーカーに問い合わせて簡単に交換できるものではありません。
JPOPではないですが、オンリーワンでなければなりません。

しかし、人間のおぞましい本分で、
甲乙をつける、人の上に立つ、人の下につきたくない、自由でいたい等々、
本来教義とは関係ないことから、道を別つことが往々にしてあります。
またもやJPOPで申し訳ありませんが、
オンリーワンは極論すれば交わらないもの、みんながオンリーワンの世の中で、
手を繋ぐことはあり得ないとも言えますね。
宗教、JPOPに限らず、問題のそもそもを辿ることは疎かにしてはいけないのです。

クラシコの白衣を出すまでもなく。

クラシコの白衣を出すまでもなく、結局白黒つけたいのが人間なのだと思うのです。
白衣がグレーでは白衣でないように。
突き詰めればどの宗教も人に優しくを説いているのに、
宗教家でさえ他の宗教者を糾弾しています。
さらにいえば、同じ宗教内でも揉めるのですから、滑稽と言わざるを得ないでしょう。

キリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も仏教も初期の言葉では今に伝わらないからと、
言説に落とし込み、普及させその結果、分裂するという現象が見れます。
普及が悪いのか、アレンジが悪いのか、どこかで誰かのエゴが介入し、
その結果そのエゴを受け入れることができず分裂するでしょうが、
そもそも時代によってなぜ言葉って変わるんですかね。
不思議ですし、何かしらの力を感じざるを得ないと思うのは私だけ?

DVD買取など隆盛の時代、両者はもうおらず。

ベータとVHSのいわゆるビデオ戦争がありますが、
宗教の争いも要はこれと一緒だと思っています。
キリスト教のプロテスタントとカトリックに限らず、
仏教でも大乗や小乗、さらに言えば密教。
今ある宗教は様々な括りを設け区分を分けています。
何故かというと、私が思うに都合が悪いからだと思うのです。

生活に宗教を取り入れる時、捨て去るものが出ますが、
どうしても捨てられないものがある、でもそれでは救われない訳で。
ベータとVHSもやっていることは同じですが、
ダブルスタンダードは両者にとっては都合が悪いのです。
とはいえDVD買取など隆盛の時代、両者はもうおらず、
宗教も同じようなものでなければいいのですが。